詩を読んで好き勝手いう会 2015年の記録
《第15回》
『好き? 好き? 大好き?』R・D・レイン
日時:2015年8月15日(土)
18:30~22:00
場所:浦和
レインの詩というやつは、悩ましいですね。これって、詩なの? いや、詩なんだけれどもねえ。
精神疾患の患者とのやり取りの中から生まれた、ぐるぐるまわる、終わりのない会話。何一つ進展しない、会話の円環。終了地点が開始地点に接続されてしまうような会話。ただ、そういう詩の雰囲気に、思考の過程を覗かれているようだ、という意見も。
個人的には『蕩児の帰宅Ⅱ』とか好きですね。「お父さん!/私生児め!/バーナクル・ビルがぼくのお父さんですよ/おれはバーナクル・ビルだ/お父さん!/私生児め!」ぐるぐるしますね。
あと、表題作であり、恋人同士の他愛のないそしてすれ違う会話でもある、『好き? 好き? 大好き?』は、その会話の円環的性格と内容の不毛さがとても好きなのですが、それだけではないようです。どうも、この詩集は、男性目線だという指摘があり、言われてみれば確かにそうかも。つまり、「私のこと好き?」と女性に聞かれて、「うん、好きだよ」と答えるのは、女性的には質問の答えとして不正解だそうで、こういう返答だから、終わりのない会話になるんだとか。
なるほど、勉強になります。
《第14回》
『町田康詩集』町田康
日時:2015年5月30日(土)
18:00~22:00
場所:浦和
町田康の詩、というのは、暴力的だ。粗野な関西弁。無職。焼酎二合を求めて朝から徘徊する男。うどん好き。
「信じられないかもしれんが俺は詩人だった/パリのバスタブの中で午前三時/なにもやることがない俺は紛れもない詩人だった」ということばを生み出せる人間は、紛れもなく詩人だと思う。
「こぶうどん」とか「あと二合」、「鮭とけんちん汁」、「ロビンの盛り塩」などなど、名作たくさん。
あと二合 清めたまえ
「おい、ちょっと呉れ」呉れやがらぬ。
爆発する個人 怨念ポップ
《第13回》
『15歳のポケット』山田かまち
日時:2015年4月25日(土)
17:30~22:00
場所:浦和
役者市蔵のたっての願いにより、山田かまち、ふたたび。
本人が願っただけあって(前回取り上げた時は、彼の入団前でした)、彼はどっぷりとかまちにはまったようです。
やはりかまちは、天才です。「美」というものは何か、ということについて、若干15歳にしてその本質をつかんでいたと思う。つかんでいたどころか、論理的にも把握していたと思う。詩、絵、音楽、表現として興味をそそるそのほぼ全領域において非凡な才能を発揮し、絵を描く理由を「視覚の欲求を満たすため」言ってのける。これを天才と言わずして何というのか。
17歳という年での夭折が、本当に悔やまれる。
《第12回》
『春と修羅』宮澤賢治
日時:2015年3月21日(土)
17:30~19:30
場所:北浦和
宮澤賢治をとりあげました。
私、池上は、たとえば序の「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電灯の/ひとつの青い照明です」とか「春と修羅」とか好きです。でも、自然描写をとうとうと描く詩は、あまり得意ではありません。
でも、オノマトペのおもしろさにひかれているメンバーや、テンポのよい自然描写に魅力を感じているメンバーもいました。
そしてなにより、「永訣の朝」の素晴らしさ。これは見事だ。
それ以降の作品が、すべてトシ子を引きずっているのを見るにつけ、その妹への愛を感じます。若干、過剰とも思えるほどの。
《第11回》
『人間の悲劇』金子光晴
日時:2015年2月14日(土)
17:30~19:30
場所:浦和
散文詩と定型詩の入り混じるエッセイのような文体に、これって詩? と、戸惑うメンバーもいましたが、なかなか好印象な感じでした。
ただ、好きな詩をあげても「何だか知らないけれど、たまらん」という感想も、おおかった。この詩人、心の中にすっと入ってきて居坐るようなところがあるので、そうなってしまうのかもしれません。理屈じゃないですね。
『航海について』という冒頭の詩、たまらんですね。「その島に芥子をなすり、胡椒をふりかけ/僕は、最初に名づけよう。/『サラダを添えた新ユートピア』」。
『恋人の顔の横っちょに書いてある詩』の『もう一遍の詩』、「恋人よ。/たうとう僕は/あなたのうんこになりました」ってのも人気でした。
しかし一番人気は、『くらげの唄』。ゆられゆられ、もまれもまれ。いいですねー。私池上が一番好きな詩を、みんなが気に入ってくれてうれしい。
《第10回》
『腐敗性物質』田村隆一
日時:2015年1月17日(土)
17:30~19:30
場所:浦和
今回も、好き嫌いわかれました。よくわからん、とか。それでも、好きな詩とか好きなフレーズはあるのだから、詩って面白いですね。
『緑の思想』が好きという人と、『ことばのない世界』が好きという人と、各々好みがあったみたい。『奴隷の歓び』がこっそり好きなのは、私。
私はこの詩を読んでいると、なんだかジョルジュ・デ・キリコの絵画を見つめているような気持ちにさせられます。気負いの強さも感じます。新しい時代を作った人なんでしょうね。
この学習会は、気に入った詩は朗読することになっているのですが、口にしてはじめて気がついたこともあるという話にもなりました。やはり、詩はことばにしてなんぼですね。