詩を読んで好き勝手いう会 2018年の記録

 《第32回》

『一握の砂・悲しき玩具』石川啄木

 

日時:2018年9月22日(土)

17:30~21:00

場所:浦和

 

かなしい、という言葉の多い詩人。
自分の日常性の中を詩にして、その日常を形作る社会の物語の中に自分のが収まることができなかった詩人でしょうか。
収まる気もなかったでしょうが。
その置き場のない自己と自己を取り巻く日常の間に世界の断裂があり、その亀裂にはさみしさしかなかったのでしょう。

この感覚、自尊心、敗北を前提とした物語構築。誰もが一度ならず感じているであろう、どうしようもない己の敗北感。そしてそれに折り合いをつけられぬ者だけが構築する、己のための敗者の物語。
石川啄木は、そういう歌人なのかもしれません。

ただ、『一握の砂』で自らの死にあこがれた詩人が、『悲しき玩具』で実際の死の床にあって詠うというのは、なかなかに切ないものがあります。

 《第31回》

悪の華』シャルル・ボオドレール

 

日時:2018年8月25日(土)

18:00~22:30

場所:大宮

 

 タイトルの禍々しさや、岩波文庫版では表紙にも書かれいる「初版は猥褻と冒涜のかどで6編の詩の削除を命じられ」という言葉から読むと、ちょっと拍子外れな気もします。

が、これは、初版の1857年という年号を考えなくてはいけないのかもしれません。
150年前の卑猥や不道徳は、現在では特に強烈なインパクトではない可能性がある、ということ。

 

さて、会としては、フレーズにハマる印象がありました。

例えば、

「ただ蛆虫 後悔のようにあなたの皮膚を齧るだろう」(死後の後悔)
「お前に言はう、死ね、老耄の卑怯者、遅すぎるぞ、と」(時計)
「俺は 傷であって また 短刀だ/俺は 撲る掌であり 撲られる頬だ」(我とわが身を罰するもの)

 

「日常」という詩も、意外によかった(ノーマークでした)。
「なぜなら 俺は、自分の意志で 春を喚起し、/太陽を一つ 自分の心から 引摺り出して/燃え上がる自分の思想で なま温かいある雰囲気を/作り上げる という偉業の中に浸っていたいからだ。」
何だろう、このそこはかとなく香る、自宅警備隊感。
ボオドレールという人は意外に、夜以外は自宅にこもっている人だったのかもしれませんね。

 

わたくし池上としては、「聖ペテロの否認」が好きです。
「神は その寵愛の熾天使たちに向かって毎日下界から/浪のように押寄せる呪いを、一體 どう爲る氣か。/腹一杯に 葡萄酒や肉を食った 暴君のやうに、/神は いい氣持ちで聞いて 寝ている。」
とか
「ああキリストよ、橄欖の園を囘想してみたまへ。/お前の生きた肉體に 下賤の刑吏が打込んだ/釘の音を 天國で笑って聞いていた神に、/お前は 単純愚直にも跪いて 祈っていたのだ。」

過激!!

現在で同じような内容書けと言われたら、若干怖いですよ、わたし。

 《第30回》

コクトー詩集』ジャン・コクトー

 

日時:2018年7月14日(土)

18:00~21:30

場所:浦和

 

 時代性もあるので、どこまで盛り上がるか不安でしたが、意外に盛り上がりました。

前期の詩が好き、という人や、「平調曲」のことばの配列が視覚的に美しいという人も。

そして何となく、「エロい」感じの詩が多いな~という印象。
その爽やかな感じがたまりません。

「二羽の山鳩が/やさしい心で/愛し合いました
その余は/申し上げかねまする」
という『山鳩』とか、グッときますね。

私、池上としては、何とはなしに『黒奴美人』がエロい。
「黒奴美人は半開きの戸棚です
中には濡れた珊瑚がしまってある」

 《第29回》

原田勇男詩集』原田勇男

 

日時:2018年6月23日(土)

18:00~21:30

場所:浦和

 

これまでやってきた現代詩の詩人のとがって突き抜けた感じとは逆の、まじめで丁寧な詩でした。

メンバー好みで言うと、心が動かされる感じではなかったですが、あるワンフレーズがよいという感想もありました。
私(池上)としては、初期の詩は嫌いではないですが、ちょっと言葉が多すぎる気がしました。後期はますます言葉が多いですね。

「炎の樹」の連作も、分かるのですが、分かりません。

それは詩作の根源であって、出口ではないように思えるからです。

 

でも、ちょっとした一言などは、グッとくるものもありました。

本筋とは違うのでしょうが、「サード」という詩の

「シャドーとなってサードの位置に立つ/爆竹も花火もなく/チアガールの声援もない/(ああ女子学生の白い下着!)/名もないグラウンドの片隅で/今日も飛んでくるはずの魔球に備える」

という言葉の、「(ああ女子学生の白い下着!)」の一言の挟み方は、天才的でしょう。私はここに、この詩人の卓越した詩的感覚を感じるのです。

作者の意図とは違うのかもしれませんが、こういうナイーブさ、好きです。