詩を読んで好き勝手いう会 2016年の記録

 《第22回》

『山羊の歌』『在りし日の歌』中原中也

 

日時:2016年12月4日(日)

19:30~22:30

場所:浦和

 

この読書会を始めた当初、2013年の第3回と第4回に取り上げた詩人ですが、レポーターの強い希望で、再登場。近代詩の基本ですね。

 

今回また読んでみて、私(池上)の感想は、昔から好きな詩はやっぱりちゃんと好きだってことですね。「朝の歌」とか「春日狂想」など、好きなものは好き。

 

会自体は、大盛り上がりでした。「冬の夜」の詩が盛り上がったのは意外かな。どうやらこの詩は、女が絡んでるな~、と。

そして詩ではありませんが、忘れてはいけないのが、『在りし日の歌』の「後記」です。

「私は何も、だから語ろうとは思わない」「さらば東京! おゝわが青春!」

 

中也はやはり、近代詩の一番深いところで、燃え続けるのでしょう。

 《第21回》

『長田弘詩集』長田弘

 

日時:2016年6月25日(土)

19:30~22:30

場所:北浦和

 

長田弘は、私(池上)としては、好きな詩と苦手な詩がはっきり分かれる詩人です。今日の参加者も、好みがわかれました。

 

「朝のマーマレードのようにだるい死」(三つの死 Ⅱ死のまわりで)これが、苦手という人もいれば、私のように絶妙な一言だと思ってしまう人もいるわけです。

おもしろいねえ。

 

私としては、冒頭を飾る詩「三つの死 Ⅰあらゆる詠嘆は意味はない」これこそが、私のイメージを強烈に支配してしまうのです。

それは、この詩に初めて出会った20年前と全く変わらないインパクトだな、と。

なんせ、「角を曲がると すでに/あらゆる詠嘆は意味がない」ですからね。

男女の問題だけではないのですが、世界に横たわるある不毛さを名指している、素晴らしい詩だと思います。

 

 

あとは、長編詩「クリストファーよ、ぼくたちは何処にいるのか」に興味が集まりました。

この詩の中で、詩人の心の内側がはじめてのぞいた、という感想もありました。

 

愛をまっすぐうたえてしまうところが、苦手だという意見も。はは、同感。

 

この詩に書かれていること、この詩への意見、これは全て今の自分に還ってくる。だから苦手なんだ。そう自分で、苦手な理由を分析した参加者も。

なるほど、そうかもしれません。この詩は1960年代に書かれたもの。

詩人が先取りした世界の中を、まさに今、私たちは生きているのかもしれません。

 《第20回》

『谷川雁詩集』谷川雁

 

日時:2016年5月28日(土)

19:00~23:00

場所:大宮

 

詩を読んで好き勝手いう会も、第20回を数えました。

記念というわけではないですが、満を持して「谷川雁」の登場です。私、池上が最も影響を受けた詩人といっても過言はないでしょう。

「おれは砲兵」「破船」「東京へゆくな」など、みんなの心に響いたようでした。

あとは。「おれたちの青い地区」がなんかかわいいとか、レポーターは詩の中で最も好きな詩として「首都の勘定書」を紹介してくれました。

 

メタファー詩人なんで、わからないってなっちゃうと何ひとつわからなくなっちゃいますが、ずいぶん盛り上がりました。

正直、谷川雁でこんなに白熱するとは思ってもみなかったです。温めておいてよかった。

ちなみに、私個人としては「人間A」が最高の詩だと思います。完璧、です。

共感してくれる参加者も、結構いてうれし限り。

そして今日は、新しい参加者も2人来ました。

千客万来。

詩を楽しんでいきたいものです。

 《第19回》

『吉増剛造詩集』吉増剛造

 

日時:2016年4月23日(土)

19:30~23:00

場所:大宮

 

「ぼくは詩を書く/第一行目を書く/彫刻刀が、朝狂って、立ち上がる/それがぼくの正義だ!」

と、若干リリックな立ち上がりで始まるも、「転落デキナイヨー!/剣の上をツツッと走ったが、消えないぞ世界!」と、素の自分に落ち込んでいく、これが吉増剛造のすばらしさではないでしょうか。

長編詩のリフレインには、若干、もたれ気味ではありましたが、繰り返し繰り返し自分に還ってくるその世界は、自分の暗い部分の自己対話を見ているようで苦手だという感想も。

そういうインパクトもあるでしょう。

また、音楽に乗りながら詩作しているのではないか、という感想も。

実際にある一片を、メロディーに乗せて朗読してくれた参加者もおり、新しい視点をもらいました。

感性や経験や知識の洪水を、次つぎにちりばめていく、ぐるぐるした脳の持ち主だったのではないでしょうか?

かくいう私も、この雰囲気には、身に覚えあり……。

いずれにしても、短文での言葉の使い方が信じられないくらいに素晴らしい、という感想は全員で共感しました。

 《第18回》

『夜露死苦現代詩』都築響一

 

日時:2016年3月21日(月・祝)

19:30~22:00

場所:浦和

 

ヒップ・ホップの歌詞、痴ほう症の老人がつぶやく一言、死刑囚の刑執行直前の辞世、暴走族の特攻服の刺繍、アダルトサイトの客引きのコピー、など、これらは詩ではないのか?

いいえ、これは詩です。

「詩」っぽい体裁を整えた難解な詩だけが詩であるまい。

詩がどうしようもない言葉の発露であるならば、ヒップ・ホップの歌詞はまさにリアルな言葉の発露としての詩でしょう。

詩が言葉の意外なつながりが見せるイメージの豊潤さであるならば、痴呆老人のつぶやきや電波系の独り言だって、立派な詩でしょう。「力士が! 力士が! なぜか力士がどこまでやってくる」「やっぱり鮭なら砂漠にかぎる」といった言葉が、どれほど豊かなイメージを私たちにくれることか。

今回は、最初から最後まで、大盛り上がりで進みました。

とりわけ盛り上がったのは、第2章の「点数占い」と、第12章の「肉筆のアクションライティング」でしょうか。

点数占いは、シュール。このシュールさは、「ロートレアモンは手術台の上のミシンと蝙蝠傘の出会いを詠ったが、大阪の玩具会社のオヤジの脳内世界と、シロウトのお絵かきが街角の駄菓子屋で出会い、鼻垂れ小僧にむしり取られた瞬間、ショウユ味の和製シュールリアリズムが極東の島国に花開いたのである」のことばは見事に物語っている。

ちなみにエロ系の12章は、「10代の吸い付く体」とか「☆THE・GREAT・KING・OF・SUPER・OPEN☆」という言葉の力強さにノックアウト。むちゃくちゃだけど、文章力が報酬に直結する世界の、すさまじさがここにあるのです。

そして、この文面を考えているのは、ノリだけの中高生ではなく、大人たちが真剣に考えているのです。エロ系の迷惑メールだって、これに引っかかるように真剣に文章を考えている誰かがいるはずなんです。ここに、詩が生まれる迫力があると、私は思う。

 《第17回》

『立原道造詩集』立原道造

 

日時:2016年2月27日(土)

19:30~23:00

場所:浦和

 

詩、には、好き好きってものがあります。うちのメンバーにとっては、どうも今回の詩にしっくりする人が少なかったよう。私も含めて。やわらかくて優しくて、キラキラした感じ。

前回が重たすぎたか??

解説者が書いているように、地上3メートルを漂っている詩、というのがぴったりくる。この若干のメルヒェンを感じさせる詩は、そのメルヒェンを滅ぼすどす黒さを感じる前に亡くなった夭折のためか。

その可視化可能な表象的美の世界は、ソネットの形式よりも、四行詩の形式で成功している気がします。

「やさしい僕の目 臆病な僕の目 もう歌もなく」と書く詩人。

「僕は 三文詩人の一人にすぎないのだ」と書く詩人。

感覚的美とことばの蜜月を過ぎて、どすぐろい詩との格闘の萌芽を予感しつつも、それに取り組むには、死はあまりにも早すぎた、か。

 《第16回》

『石原吉郎詩文集』石原吉郎

 

日時:2016年1月31日(日)

18:00~23:00

場所:浦和

 

今年の活動を開始。今回は、「石原吉郎」をとりあげました。

新しいメンバーも2人加わり、にぎやかに2016年をスタートさせることができました。

私としてはこの詩人、ものすごい難解なのですが、発想の出発点を心から共感できます。石原吉郎が自らの存在しなかった青春について語り、ラーゲリの体験とそこからの回復の過程の苦痛。特に、肉体の回復と精神の回復のたどる経緯の乖離による絶望的な危機感、危機的状況を脱出したことによってやってくる危機的状況については、自らの体験に照らして痛いほど共感できます。

ただ、この種の共感の怖いところは、わかる人にはわかるし、わからない人には絶対にわからない、ということでしょう。

今回はみんな、心に思うところがあったようで、いろいろ闊達な意見が飛び交いました。自分の物語として詩に出会うということができたのではないでしょうか。これは、私が考える、理想的な詩との出会いです。

みんな意外にも後期の作品が好みでした。「痛み」や「構造」が人気でした。「居直りリンゴ」が好きな人も。これもいいですね。畳一畳分の、リンゴが転がれる距離に過ぎない主張。しかし、こういうことに何かをかけることこそがだいじなことだと私たちは信じてやみません。

個人的には、「葬式列車」が最高に好きです。

「なんという駅を出発してきたのか/もう誰もおぼえていない/だた いつも右側は真昼で/左側は真夜中のふしぎな国を/汽車ははしりつづけている」

なんという秀逸な、死のイメージの表象であることか!!