詩を読んで好き勝手いう会 2019年の記録

 《第35回》

『茨木のり子詩集』茨木のり子

 

日時:2019年9月21日(土)

15:15~21:20

場所:浦和

 

詩を読んで好き勝手いう会史上、3人目の女性詩人です。

正論を正攻法で表現する、そんな詩人という印象を受けます。

集まったメンバーでは、初期の頃の詩の方が後期のよりも好きという意見がほとんど。

おそらく、後期になるにしたがって、正論を正攻法で表現する度合いが強いからかもしれません。

また、それをその言葉で最後まで書いてしまう印象も受けました。

そのたたずまいは強いのですが、ちょっと強すぎる気もします。

 

そんな中で、ある懐かしい風景をうたった詩という印象の詩である、「どこかに美しい村はないか/一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒」(『六月』)や、成城学園の制服を作り続ける老夫婦を描いた『大国屋洋服店』、見知らぬ町に心ときめかす『はじめての町』が好きな詩として挙がりました。

また、自戒としては「H2Oという記号を覚えているからといって/水の性格 本質を知っていることにはならないのだ」(『知』)という詩もあげられました。ま、子どもが「わかったわかった」と叫んであしらってしまうので、ちょっと教える側の説教臭さが勝ちすぎたのかもしれませんが、ね。

言葉のコントラストとしては、『もっと強く』の「もっと強く願っていいのだ/わたしたちは明石の鯛がたべたいと」というのが、面白い。

普通、もっと強く願って、などと言われると、「世界の平和」とか「人生の夢」とか大げさなものを思ってしまうのですが、「明石の鯛(ちょっと高級)」とか「数種類のジャム」とか「土用の鰻」とかを願ったっていいのだ。そういう大きな言葉を、拍子抜けするくらいにチャンクダウンしてあげると、もう少し世界は自由になるかもしれませんね。

 

言葉の言い切りは小気味がいいですが、強く出てしまうと、説教臭くなることもあるかな。

でも、そこまで言い切ってしまう強さとスタイルは、戦争で何かが大きく変わる経験をした茨木のり子とその時代の詩の文化ならではなのかもしれません。

 《第34回》

『萩原朔太郎詩集』萩原朔太郎

 

日時:2019年7月6日(土)

18:00~22:00

場所:浦和

 

室生犀星つながりで、萩原朔太郎をとりあげました。

なかなかしっくりこない、という意見もたくさんありましたが、いざ読んでみると意外にこれ好き、とか、この詩にチェック入れていたとか、そんな感想がたくさんえました。

「猫」とか、いいですね。猫が必勝コンテンツだという意見もありました。「この家の主人は病気です」飛躍もいいですね。生活の疲れでしょうか。
「野鼠」とか「春の実体」、「内部に居る人が畸形な病人に見える理由」などなど、好きな詩が出ました。
私(池上)が、「緑色の笛」が好きだと言ったら、意外といわれました。でもこれ、一番普遍性がある気がします。

 

いずれにしても、時代性というのがあるなあという印象です。
朔太郎が語る悲しみや悲劇は、時代の中で口にすることに価値があったように思えます。
つまり例えば朔太郎の時代は、私が悲しいことを「悲しい」と表現することが、表現としての意味を持ちえた時代だったのではないかという想像です。
今の時代で、私の悲しさを「悲しい」と表現しては、きっと詩の言葉にならない。

 

「不定の位置に立つときかれは没落する/この赤らみゆく樹木の無意味に対して」(谷川雁「人間A」)や「なんという駅を出発して来たのか/もう誰もおぼえていない/ただ いつも右側は真昼で/左側は真夜中のふしぎな国を/汽車ははしりつづけている」(石原吉郎「葬式列車」)といった言葉を通過した現在には、朔太郎の言葉はあまりに私的すぎるのか。

はたまた、私たちが言葉の消費に慣れすぎてしまって、表現に対して無感動になっているだけなのか。

 《第33回》

『室生犀星詩集』室生犀星

 

日時:2019年6月1日(土)

18:00~22:00

場所:大宮

 

抒情詩人。

家を愛し、世界を観察し、物語に組み替えた、そんな人だったのではないでしょうか?
「杏姫」が一番盛り上がりました。
7つの杏子は、額面通り杏なのか? それとも・・・。
いえいえ杏です。旅先で売り子を思いながら一日一日を送る。
まっすぐな人だったんでしょうね。
「自分の室」も盛り上がったかな。自宅をこんなにも愛し、熱く語れる人、それが室生犀星、か?
まっすぐすぎて素通りしてしまう詩から、まっすぐすぎて辛すぎる詩まで。
そのグラデーションの中に、好みの詩があるのでしょうね。

かというと、「鰯」という詩の「鰯があらはれた」とか、「鼈」の「わんぱー」、「老いたるえびのうた」の、「けふはえびのやふに悲しい」などの言葉のとがり方もありました。
私(池上)はこちらの突拍子もないほうが好きでした。